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2015年09月30日 | Posted by フク

フォトグラファーズレポート ~鈴木一雄さん~

みなさんこんにちは、フクです。

今回のフォトグラファーズレポートは風景写真家 鈴木一雄さんをお招きします。

鈴木さんは写真家として活躍する傍ら、写真塾「一の会」を主宰。更には、多いときは年間20本以上の写真コンテストの審査員をされています。10月よりスタートするエプソンニューフォトフォーラム2015でもセミナー講師としてご登壇いただく予定です。今回は鈴木さんの考えている写真のチカラと写真に向き合い続けるための秘訣についてお聞きしたいと思います。

~写真のチカラ~

フク:「私も写真コンテストの審査を何度か見学したことがあるのですが、審査員の先生が写真を選ぶスピードって本当に速いですよね。どうやってあの短時間で見極めているんだろう?と不思議に思っていました。鈴木先生はどこを見ているのですか?」

鈴木さん:「僕が見ているポイントは「写真のチカラ」があるかないかを見ています。」

Sk1_3フク:「「写真のチカラ」とはなんですか?」

鈴木さん:「写真が持っている、作品として人を惹きつけるための要素を総合して僕はとらえています。僕は土門拳さんが好きで、また、その時代の他の作家の作品も好きです。8月には、土門拳さん、林忠彦さんの写真展を見てきてあらためて感動しました。二人とも35ミリのフィルムで一瞬の動きを捉えている作品が多いのですが、今の尺度で見るとピントも甘いしシャープネスなんかも今のデジタルカメラの写真と比べると弱いです。だけど見る人を圧倒させる迫力、説得力が写真から溢れています。そういうのが「写真のチカラ」だと僕は考えます。」

フク:「なるほど。確かにピントとかシャープネスといったものを超えて何か迫ってくるものがありますよね。では、その「何か」すなわち写真のチカラとは具体的にはどういうものでしょう?」

鈴木さん:「「写真のチカラ」は大きく4つのチカラで構成されると僕は考えています。それは「技」「被写体」「創造性」「魂」です。これらがどう合わさるかで写真のチカラは変動します。もちろんジャンルによってその4つ割合や優先度が変わってきます。例えば報道写真だったら「被写体のチカラ」が圧倒的で、そこに他3つのチカラが組み合わさります。スナップショットで旅の作品を撮るのであれば「創造性のチカラ」や「魂のチカラ」が主軸になります。」

鈴木さん:「まずは「技のチカラ」ですが、これはいわゆる撮影テクニックです。パンフォーカスを狙った時に確実にパンフォーカスにしたり、適正の露出で撮影したり、被写体に対して適切なポジションで撮影するというのもこれにあたります。ですから風景写真の場合はまずこのチカラが備わっていることが基本となります。」

鈴木さん:「二番目は「被写体のチカラ」。これは読んで字の如くですが、被写体そのものの魅力や、新鮮度などを指します。例えば素晴らしい光芒が出たり、霧が発生したり、想像もしていないようなものに遭遇することはここにあたります。風景写真においては、一般的には技のチカラの次に求められる要素だと思っています。」

フク:「作品を撮影者と被写体に分けてそれぞれを考えるのですね。」

鈴木さん:「三つ目は「創造性のチカラ」です。スナップショットの作品などはこのチカラが主軸なるといいましたが、作品の持つ物語性や自分の思想や考え方を写真を通して伝える要素です。風景写真においては、その風景がどのような歴史で今の姿になり、どういった人たちの生活の中に存在しているものなのかといった、風景の成り立ちや人々との関わりに想像を働かせるということが創造性に繋がります。」

鈴木さん:「例えばこの桜の作品ですが、この作品は桜の下にあえて見物に来ていた家族を入れて撮っています。」

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鈴木さん:「風景写真の場合ですと人を入れることを嫌がる人も少なくありません。木の下の家族の姿が邪魔だと思う人もいるかもしれません。でも僕は彼らがいることで単に美しい桜の写真ではなく、その桜がどのような場所に立っているのか、どのようにその土地の一部として溶け込んでいるのかといった想像させられる作品になったと思います。これはあくまで一例で、必ずしも人物や周辺を入れる方がいいわけではありませんが、このように風景の周辺や裏側に目をやる配慮こそ創造性のチカラだと考えています。」

フク:「創造性のチカラというのは風景写真の場合かなり深いというか根幹の部分に触れる要素ですね。」

鈴木さん:「まったくその通りです。風景=美しい自然風景と解釈されがちですが、必ずしもそれだけではありません。キッカケとなったのは裏磐梯の湖畔を撮影しようとファインダーを覗いた時、左奥の湖面からわずかに鳥居が出ているのが見えたのです。これまでは美しい自然風景を主に狙っていましたので、鳥居などの人工物にはあまり惹かれることはありませんでした。しかし、よくよく考えてみますと、ここはかつていくつもの集落があった場所で磐梯山の噴火によって地形が変化し湖底に沈んだ場所、すなわちこの風景は人々の犠牲の上に出来上がったものだということを想像しました。そう考えますと、たかだか数十年しか生きていない人間が思う「美しさ」だけを求めて切り撮る行為がおこがましいと思ったのです。それ以来僕は自然風景を撮らせてもらっているという感覚で被写体の声にも耳を傾けながら撮るようになりました。」

鈴木さん:「最後は「魂のチカラ」です。これは作品の奥に宿っている撮影者の人となりや作品に対する情熱などが該当する要素です。僕の写真はフィルムであってもデジタルであってもトリミングをしません。これは後から手直しをしませんという意思表示であり、シャッターを切った時に作品の95%は出来上がるよう細心の注意を払って撮ります。これが魂を込める行為です。審査の時でもこの魂のチカラを感じる作品に出会うことがあります。言葉にするのは難しいのですが、作品に漂う一種の「気」のようなものです。」

フク:「これはフィルムとデジタルで何か変化したなんてことはありますか?」

鈴木さん:「デジタルカメラでたくさんの写真を撮ることができるようになった現在、一番欠けている要素なんじゃないかな?あとからなんとかしようを前提に撮っている作品には、どうしても魂は宿りにくいと思います。」

~風景写真とはそこに行けば見ることのできる風景が前提となるもの~

フク:「鈴木先生の考える風景写真とはどういうものなのでしょうか?」

鈴木さん:「僕の考えている風景写真は、その場所に行けばある程度同じような光景を見ることができること、つまり事実に基づくことが大切だと思っています。ですから僕は、デジタルで簡単にできるようになった合成なども一切しません。少し前にあるカメラ雑誌の特集でホタルの撮り方という記事にヒメボタルの作品を提供したのですが、この写真がなかなか撮れなくて。このホタルは発する光が弱いんです。ゲンジボタルの何分の一かの光量ですね。なかなかうまくいかず、ようやく撮れたのがこの作品でした。」

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鈴木さん:「これも何枚かの写真を合成すれば一回で撮影するよりも簡単にイメージ通りの作品を作ることができるかもしれません。しかしそれは僕の考える風景写真ではありません。」

鈴木さん:「現在、風景写真は写真とコンピューターグラフィック(CG)の間に入っています。もちろんCGが悪いわけではありません。コマーシャル写真でしたら、何枚も貼り合わせてひとつのイメージを作るなんてことは当たり前の手法です。ですが風景写真ですと、それは実際撮影している時には見えていない風景ですよね?すなわちそこから出来上がったものは風景CGであり、写真ではないと思えてしまうのです。合成だけではなく、例えば余計だなと思う被写体を消したり、無いモノを足す行為もそれに当たります。くれぐれも誤解をして欲しくはないのですが、そういう手法で映像をつくることが面白いと思って作るのは自由です。ですが僕は、それを目指すべき風景写真とは考えていません。目の前で自分が見えていた光景を写真にする行為が風景写真なのです。」

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~写真は自分史をつくる行為~

フク:「なるほど。写真作品の力の源と風景写真の定義、非常にわかりやすいお話です。そこで今度は、さらに踏み込んで何故私たちは写真を撮るんだろう?という問いが生まれてきてしまいました。」

鈴木さん:「僕も同じことを考えてひとつの結論に至りました。それは「自分という人間がどう生きたかを記録する」行為だと思います。いうなれば「自分史」です。自分がどこで生まれ何を考えて生きて来たのかを後世に残すための手段ということです。ですからこれ自体は自分が生きている以上は決して完成するものではありません。そうした壮大なプロジェクトの中で撮った写真の一部が写真展やコンテスト、写真集といった形で作品として人々の目に届くようになるわけです。僕はこれを「自慢史」と呼んでいます。「自慢史」と「自分史」は車の両輪で、どちらも大切です。要するに自分史をつくる中で生まれた写真の一部を人々にお披露目(ちょっぴり自慢)させてもらうための写真が作品なのです。僕が最近の講演などで、この自分史をつくる意識を持つことが重要だと話しています。」

フク:「写真を撮る=自分史を綴る行為・・・かなり壮大な響きですね。」

鈴木さん:「自分史を作っていくための方法は、毎年年末などに自分が撮った1年分の写真をあらためて整理して自分にとってお宝と思えるかけがいのない写真をピックアップしてすると、自然とそれが蓄積され自分史が出来上がってくると思います。このお宝と思える写真とは、どこかで金賞を取ったとか展覧会で発表したとかという尺度で選ぶものではありません。自分の生活や人生にとって大事だな、とっておきたいな、見ていると元気になれそうだなと思うような写真こそお宝の写真なのです。そうした写真をストックしておくのと同時に、それぞれ取り組もうと思っている作品に向かい合って行きますと、作品だけではなく人生そのものが充実したものになるでしょう。それこそ写真を撮る本当の意義なんじゃないかと思うわけです。」

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フク:「そう考えると風景作品も鈴木先生がおっしゃったように目の前の美しいものだけではなく、「創造性のチカラ」が大切なのだという意味がよりわかるような気がしてきました。」

鈴木さん:「どのジャンルの作品を作るにしても究極は写真で自分の人生を記録し、それを残すことなんですよね。よく写真展や写真集を出して目の前の目標を達成すると、それで燃え尽きてしまう人がいます。ですがそういう人はこの「自分史」という概念というか目標を見ていないんじゃないかと思います。もし思い当たる人がいらっしゃるようでしたら一度自分にとってお宝のような大事な写真を選んでプリントするといいと思います。」

フク:「やはりそういう時はプリントって大事なんですか?」

鈴木さん:「結局自分を見つめ直すという行為を行うには、写真の根源的な最終形態であるプリントが不可欠だと思います。プリントを自宅に飾って毎日目にするだけでその写真の良さを再発見したり、時には悪いところが見えてきたりしますからね。作品撮りを上達させるにもこの方法が一番の近道ではないかと思います。データはいつ消えてしまうかわからないものです。消えなくても100年後には再生する機械がないかもしれません。そうなってしまったらせっかく撮った写真もただのゴミ同然になってしまいます。写真はプリントすることではじめて後世に残すことのできるものになりますので、プリントは大事かどうかではなく必要不可欠な方法だと思います。」

いかがだったでしょうか?

それではまた、宜しくお願いいたします。

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