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2014年08月31日 | Posted by フク

フォトグラファーズレポート ~浅田政志さん~

みなさんこんにちは、フクです。

今回のフォトグラファーズレポートは、CP+2012のエプソンブースにもご登壇頂きました浅田政志さんです。第34回木村伊兵衛写真賞を受賞されました「浅田家」をきっかけに、現在は家族写真の面白さや大切さを再確認しようといった活動を展開していらっしゃいます。今回はその作品づくりのきっかけや背景についてお話を伺えました。

<浅田政志(あさだまさし)さんプロフィール>

1979年 三重県生まれ。

2000年 日本写真映像専門学校 研究科卒業

2003年 東京へ上京。

2004年 スタジオフォボスにて勤務。

2004年 関西にて個展多数。(〜2008年まで)

          浅田政志写真展「浅田家」(auracross/guildgallery等)

2007年 独立。

2009年 第34回木村伊兵衛写真賞。

2010年 「Tsu Family Land」浅田政志写真展(三重県立美術館)

※著書に『浅田家』(ユトレヒト/2007)、『浅田家』(赤々舎/2008)、『NEW LIFE』(赤々舎/2010)などがある。

浅田政志公式サイト:http://www.asadamasashi.com

~はじめて自分から興味を持ったのが写真だった~

フク:「まずは、写真をはじめたきっかけについてお聞きしたいと思います。」

Am3浅田さん:「小さい頃からうちにはガラス戸の棚の中にカメラが1台ありました。それは父親のマニュアル一眼レフの入門機でした。うちは年賀状に毎年家族で撮った写真を使っていたのですが、そうした時や旅行に行った時など、年に数回父がそのカメラで写真を撮っていました。僕が写真を撮るようになったのは中学3年生ぐらいからですが、はじめは父のカメラを使っていました。カメラって当然高価なものでしたし、音も格好よくて惹かれたのです。はじめは親父のいない時に触って空シャッターを切ったりしていましたが、ある時「ちょっと使ってみていい?」と聞いて、そこから使わせてもらうようになりました。」

フク:「はじめはどんなものを撮っていたのですか?」

浅田さん:「家から歩くとすぐに海がありましたので、海を撮ったり近所を撮ったり。そのうち友達を撮るようになって、何人かの友達で撮影大会をしたり、長時間露光を試したいから夜中に友達に連絡して撮らせてもらったり、好きな女の子を家に呼んで撮影をさせてもらったりですね(笑)。」

フク:「結構アクティブに撮っていたのですね(笑)」

浅田さん:「作品を作るなんて意識ではなく、ただ写真で遊ばせてもらっていた感じです。中学・高校の頃って周りはみんな部活だったりバンドだったりに打ち込むじゃないですか?でも僕はスポーツも音楽もそれほど好きになれなくて・・・高校では写真部にいましたけど、男子部員は学年で僕だけでした(笑)。その他に女の子が3人という弱小写真部でしたね。」

フク:「なるほど。そうした高校時代を経て本格的に写真を勉強することになったのですね。」

浅田さん:「僕は成績が悪かったので、高校卒業後の進路を決めるにあたって、まず大学はないだろうと(笑)。何をしようと改めて考えた時に写真しか思い当たりませんでした。僕にとってはじめて自分から興味を持つことができたのが写真だけだったんです。」

フク:「それで大阪の専門学校に行ったわけですね?ですが何故大阪だったのでしょう?」

浅田さん:「実家が三重県なのですが、そこから近鉄電車に乗って2~3時間で大阪に行けました。愛知はもっと近くて、高校の時もよく遊びに行ったのですが、少し近すぎてひとり暮らしはできないなと・・・。」

フク:「ひとり暮らし?」

浅田さん:「はい。ひとり暮らしがしたかったんですよ(笑)。東京という選択肢もあったのですが、それだと遠すぎると。ちょうどいい距離に大阪があったというのは大きな要因でした。それに当時から大阪へは年に数回遊びにいっていたのですが、古着をはじめとする独特なファッション文化のようなものがあって、毎度行く度にエネルギッシュな街だなと思わされていました。そうした街に対するイメージもあって大阪の専門学校に決めました。」

フク:「写真の学校というと、浅田さんが進学された学校の他にもいくつかの専門学校がありますが、この学校に決めたポイントのようなものはあったんですか?」

浅田さん:「特にはないかな。たまたま一番最初に学校案内を見たのが日本写真映像専門学校で、入学願書を出したら合格通知が届いたので(笑)。」

~自分が最後に見たい写真って、家族写真なんじゃないか~

フク:「専門学校へは3年間通われたんですね?」

浅田さん:「そうです。通常は2年ですが、卒業後に研究生という制度がありまして、そこに1年間いました。」

フク:「こう言ってしまうと語弊がありますが、かなりまじめに通われていたのですね。」

Am2
浅田さん:「いや、そんなことはないですよ(笑)。こんなの自慢になりませんけど、はじめの2年間は本当に遊んでばっかりでした。授業はろくに出ないし、遅刻して行ったはいいけどすぐパチンコに出かけたり、友達と麻雀したり・・・。まじめな学生生活ではありませんでしたね(笑)。ただ当時アメリカ村あたりで活動していたバンドマンなど、学校外の友達と知り合うようになって、彼らのライブの写真やフライヤー用の写真を撮るといったバンド専属カメラマンみたいなこともやっていて、その時はじめて人に必要とされて写真を撮るという経験をしました。」

フク:「遊んでいたけども写真は撮っていたということですね。」

浅田さん:「中学・高校の時と変わらず、写真で遊ばせてもらっていたのだと思います。専門学校の2年生が終わって、少し足りないと思いまして、親に無理を言って研究生を1年間やらせてもらいましたが、ここでようやく「浅田家」の原型が生まれました。」

フク:「どういったきっかけだったのでしょう?」

浅田さん:「研究生の時に出た「たった1枚の写真で自分を表現しなさい」という課題でした。その授業は大伸ばしの授業で、大全紙を4枚張り合わせて1メートル以上の作品に引き伸ばすというものでした。単写真作品というとそれほど珍しいものではありませんが、それまで僕の中では組写真の作品が当たり前で、単写真というのは考えていませんでした。ですからとても新鮮で、じゃあその1枚で自分を表現するにはどうしたらいいだろう?と結構考えさせられたのです。1枚で自分を表現するというのは難しいといえば難しいですし、何でもできると言えば何でもできる、どうとでも捉えることができるのでキリがないな・・・なんて。そうしているうちに「一生のうちに1枚しかシャッターが切れない状況になったら、自分はなにを撮るだろう?」「年老いて病気になってあと数日で死ぬと分かった時にどんな写真を見たいだろう?」という疑問が湧いて、自分だったら家族写真を撮りたいし見たいなと思ったのです。」

浅田さん:「家族写真というテーマは、時間はかからずパッと思いつきました。そこで普通に兄と父母を並べて僕がシャッターを切るのではなくて、僕も3人と一緒に写るのがいいだろうなと思いました。そして一生のうちの1枚って考えると、家族揃ってリビングで撮るだけでは少し弱いなと思いまして、じゃあ家族が体験した思い出を再現して撮るというのはどうだろうと考えました。そこで、小さい時に家族全員が怪我をした時の思い出を写真にしてみようと思ったのです。それは父が怪我して、僕も怪我して、続いて兄も怪我して・・・。母は当時看護師をやっており、その病院で家族揃って治療を受けるという、今思うとコントみたいな出来事を再現してみたのです。」

フク:「なるほど。それが家族をいろいろなシチュエーションに構成する作品の始まりなんですね。」

浅田さん:「そうです。母親にお願いして病院での撮影許可をもらって、家族全員がその時怪我した箇所に包帯を巻いて・・・。今の原型ですね。それを1枚の写真にして大きく伸ばし、課題として発表しました。」

Photo
フク:「課題の反応はどうでしたか?」

浅田さん:「僕自身も手応えを感じながら出したのですが、周りの反応も今までにないほど好評でした。それまでは自分にとって魅力的だったり刺激的だったりするものを写真にしていて、家族なんて撮りたいとも思っていなかったのですが、この課題がきっかけで家族写真っていいなと思うようになりました。その後、専門学校の卒業制作でもこの家族の思い出を写真にするというテーマで制作をしました。スキーに行った時だったり、はじめて家族で海外旅行に行った時、クリスマスの時に父がサンタの格好をしてくれた時、年賀状用の写真をよく撮っていたよねといった思い出など、結局13枚の写真が卒業制作という形で出来上がりました。」

フク:「卒業後はどうされたのすか?」

浅田さん:「家族写真を撮りすすめていこうと思って、三重に戻りしばらくは同じシリーズを続行していました。でも、三重に戻っていい写真が撮れたかというとそうでもないんですよ。」

フク:「それはどうしてですか?」

浅田さん:「卒業制作の時点で面白い印象的な思い出を出し尽くしてしまったからですね。ほかのエピソードも思い出して撮っていたのですが、なにせ面白い順から撮っていったのでパッとしないものばかりになり、しばらくは上手くいきませんでした。」

フク:「パッとしない状況から変化したきっかけは何だったのですか?」

浅田さん:「ある時ふと思い出ばかりを追っているからネタ詰まりするのではと思ったのがきっかけでした。過去ばかりを見ていると限りがあるんじゃないか?未来に視線をずらしてやるともっと撮れるようになるんじゃないかなって。そこで自分の一番気になる未来を撮影してみようと思いまして、手始めに自分が死んだ時ってどうなるのか?というシーンを撮影しました。ここから写真集に掲載されている作品がスタートしていったわけです。」

フク:「たしかにそう考えてみますと、未来への想像ってどんどん膨らみますよね。」

浅田さん:「そうですよね。家族全員がガソリンスタンドで働くというのも将来ありえなくはないですし、ライブをやるのも・・・なくはないのか(笑)?葬式のシーンの撮影をきっかけに、今度は消防士のシーンといった感じで次々に挑戦してみたいものが見えてきました。」

Photo_4
Photo_5
Photo_6

フク:「撮影はどうやって続けていったのですか?」

浅田さん:「家族全員が揃うのはお盆や正月と限られていますので、そこにあわせて準備をして、撮る時は1日に3・4シーンを一気に撮っていました。早朝5時くらいから準備をして、まずはひとつ撮影し、その後はご飯を食べて移動。昼にひとつ撮って、夕方になると今度は室内でといった具合です。途中から僕は上京し、都内のスタジオで働きましたが、その間も深夜バスで三重に通って撮っていました。結局東京に住むようになってから撮影は加速していきましたね。」

フク:「作品を撮り続けた原動力ってなんだったのでしょう?」

浅田さん:「三重に戻った時から数えて結局7年間撮り続けましたが、まずひとつは家族写真がたまっていく楽しさにやりがいを感じていました。そして、もうひとつは、撮影を通して再び家族との思い出が増えていくことでした。家族の未来の姿というテーマは、もともと思い出を出し尽くしてしまった後に始めたわけですが、それを撮っている間に新しい思い出が増えていって、それがもとになって家族との関係も変わったかなと思ったんです。」

フク:「それはどういうことですか?」

浅田さん:「例えばこれをやっていなかったら年に1度帰っても、友達と遊んで家にほとんどいなかったり、連絡だって密に取り合うこともなかったでしょう。そして撮影の合間に「最近東京でどうなの?」なんて他愛のない話をしたり、撮影場所の近くにお墓もあるし帰りにお墓参りしていこうなんてことになったり・・・。そうした思い出が新たに生まれていくことに面白さを感じました。そして同時にそういう経験をさせてくれるのが写真の力のひとつだし、家族写真の本当の意義ってそこにあるんじゃないかなと少し分かったような気がしました。」

~写真を見返すために撮るならプリントに

フク:「それにしてもこの写真を見ていると、とても仲の良いご家族だろうなと思わされます。」

浅田さん:「普通ですよ。よく一緒に出かけたり、ご飯の時に会話がはずむといったような感じの仲の良さはありませんでした。しかし父の家族に対する思いというか家族を大切にしようという思いが少し強かったように思います。父は、小さい頃養子で浅田家に来たということもあり、家族的なつながりを持って接してきた人が周りにいなかったからだと思います。ですから自分の家庭はあたたかいものにしていきたいという思いが強かったようなのです。そうした思いのひとつが冒頭でも少し触れた年賀状に家族写真を載せるという行為でした。その写真は、父の中で三重県内のいい場所というのがいくつかあって、毎回そうした場所でロケを行いました。そこで、新年に着る少し綺麗な服を兄弟揃って着させられ、立ち位置や簡単なポーズを指示されたり・・・。」

フク:「それってそのまま「浅田家」ですね。」

Am4浅田さん:「まったくそうです(笑)。ですから僕があんな撮影をするって言っても、父も母も兄もそれほど違和感なく付き合ってくれたんだと思います。僕の写真は表現とかアート作品という感じではなく、父が年賀状のために撮影していた家族写真を引き継いでいるのだと思います。写真展を見にきてくださったお客さんは、はじめは面白い家族の写真というふうに見てくれるのですが、徐々にお客さんそれぞれの家族に照らし合わせながら見てくださっているところもあって、家族写真は個人の人生の中でとっても大切な写真、考えさせられる写真なんじゃないかなと思っています。」

フク:「浅田さんは著書にも家族写真をプリントすることが大切とおっしゃっていますね。」

浅田さん:「はい。東日本大震災の被災地で、写真の洗浄ボランティアに参加させてもらったのですが、それは写真を拾い、洗って再び持ち主に戻そうというものでした。こんなボランティアが生まれるということに、はじめはとても驚きました。明日のご飯どうしようか、仕事どうしようか、という状況で写真を探したいと思う人がいるとは思わなかったし、家にはそれよりも高価な物があるはずですが、その中で唯一これだけはなんとかしようというのが写真だったのです。そして洗浄した写真を並べている体育館では、来た人が自分の写っている写真を見つけて大切そうに持って帰っていく姿を見まして、写真の本質的に持っている力というか、こんな大変な時に力になるものなんだなと思わされました。そうして洗浄されたプリントのほとんどは、かなり古い写真でした。チェキなどで撮られた写真も少しはありましたけど、最近5年くらいで撮られたような写真はほとんどなかったのです。きっとハードディスクやCD-ROM、メモリーカードには入っていたんでしょうけど、それは救済できないだろうということもあって収集の対象になっていませんでした。」

フク:「データだけで保存しているとそんな所に差が・・・。」

浅田さん:「やはりプリントって大切だなと切実に思いました。写真は見返すために撮るわけですけど、結局その目的を確実に達成できる方法がプリントなんです。」

フク:「家族写真といった、その人にとって大切な写真であればあるほどプリントは必要ですね。」

浅田さん:「そうだと思います。写真を見返す必要がある時って、例えば急に家族が亡くなって遺影の写真が必要になって・・・というように、ある時突然やってくるわけです。そういう時にいつでも電源を入れたら必要な写真が出てくるかというと、それは怪しいですよね?古い携帯電話に入っていて電源が入らなかったり、パソコンのどこに保存したか分からなかったり・・・そういう時でも見返せる形態となると、やはりプリントなんだと思います。」

浅田さん:「これからも、家族写真の大切さ、残すことの大切さをひとりでも多くの方に広めていけるよう活動していきたいと思ってます。」

いかがだったでしょうか?

わたくしフクも個人的に浅田さんの作品のファンでして、また、年齢も近く、東日本大震災から写真の大切さを感じたことや、お互い数ヶ月前に父親になった等、共通の話題も多く、非常に興味深くお話をさせて頂きました。

なにより、冒頭に頂いた浅田さんの名刺には目と心を奪われてしまいました。(浅田さんスミマセン、頂戴した名刺を掲載させて頂きました。野球少年にはたまらないデザインの1枚です!)

Am5_2
ちなみに浅田さんは、フィルムカメラを常に携帯し、1日1枚必ずその日に起こったこと撮影・現像することで残すようにしているそうです。また、お子さんの写真は“縁起物”をテーマに、あれこれ全国に言い伝えられている“縁起物”とお子さんを撮影されているそうです。

当たり前の日々でも、記録に残して、プリントとして残す。この積み重ねが、記憶をより鮮明に、大切に感じることができることにつながっていくのかもしれません。

毎年12月5日は「アルバムの日」だそうです。普段スマホやデジカメでぱしゃぱしゃ撮りためただけになっている写真も、選択して、加工して、アルバムとして残す日にする・・・そんな自分の中でのルールをつくってみてもいいかもしれませんね。

それではまた、宜しくお願い致します。

 

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