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2013年08月31日 | Posted by フク

フォトグラファーズレポート ~清水哲朗さん~

みなさんこんにちは、フクです。

今回のフォトグラファーズレポートは、以前も登場頂いた写真家の清水哲朗さんです。

※以前の清水さんのフォトグラファーズレポートは以下をご覧ください。

①写真のキッカケと必須アイテム

②「まず撮影ありき」の分業スタイル

以前伺った内容と重複する部分もありますが、改めてご自身の写真の道を歩んだキッカケや作品創りのスタイルについてお話を伺いました。清水さんの人柄通り、終始にこやかに、談笑も交えながら“想い”を伺う事ができました。

~月刊ドラゴンズから竹内事務所へ~

フク:「このブログのお約束になってきていますが、まずは清水哲朗さんが写真をはじめられたきっかけをお聞かせください。」

St1清水さん:「僕が持った初めてのカメラは、祖父が通信販売で買ったカメラにおまけで付いていたカメラでして、それを持って近所を撮影するところから始まりました。写真がなんかいいなと思ったのは、ある時夕日を撮った写真を親が見て、ほめてくれたことがきっかけです。僕は昔からほめられて伸びるタイプなんです(笑)。」

フク:「なるほど(笑)。」

清水さん:「そこから写真に急速に夢中になりまして、小中学生の時はとにかくよく撮りました。」

フク:「当時撮っていたのは主に夕日とか近所の風景とかだったのですか?」

清水さん:「いえ。実は中日ドラゴンズを撮っていました。」

フク:「小学生にしていきなりスポーツ写真ですか?」

清水さん:「ちがいます。いわゆる追っかけ写真みたいな感じです。「月刊ドラゴンズ」という中日ドラゴンズの雑誌がありますが、そこに投稿するのに夢中になっていました。その雑誌にはドラゴンズが東京へ遠征に来る時にはこのホテルに泊まるといったマニアックな情報も掲載されていましたので、そこに行って入り待ち出待ちをして撮ったのです。朝はホテ
ルから散歩に出かける選手についていき撮影しました。カメラと色紙を持ってね(笑)。」

清水さん:「結構いろんな選手からサインをもらいましたよ。星野監督にサインをねだって、色紙を3枚出したら「1枚しか書かん」って言われたり・・・(笑)。いわゆるオフショットと呼ばれる、試合中・練習中以外の写真が主だったこともあったのでしょう、月刊ドラゴンズにも結構掲載されました。」

フク:「結構目立ったんじゃないですか?」

清水さん:「ひょっとしたらそうだったかもしれないですね。「あの子また来てるよ」とか言われてたかもしれません(笑)。
そうした中で写真にのめり込んで、将来は写真を仕事にしていきたいと決意したのはこの頃でした。高校では写真を撮っているということや、野球を見に行くという行為が少し外見的に恥ずかしいと思う時期だったこともあって、写真や野球から遠ざかりました。一応写真部には在籍していましたが幽霊部員。暗室のプリント方法をざっと習って、そのまま何もやりませんでした。」

フク:「ではここで一度写真への興味が減退してしまったのですね?」

St2

清水さん:「そうではないですね。中学生の頃までに将来は写真をやっていこうと決めていたのです。ですから高校卒業後の進学先は写真の学校に行くことを前提に考えていましたし、進学したら写真漬けになると分かっていました。高校の頃に写真から少し離れたのは、あえて写真をやらなかったと言っていいと思います。」

フク:「将来を早々に決意するのもすごいですけど、ブレずに自分をコントロールしているところがすごいです。卒業後は予定通り写真の学校へ行かれたのですか?」

清水さん:「そうですね。渋谷にある日本写真芸術専門学校という学校へいきました。3年間写真をほとんどやらなかったので、すごくハングリーな状態で入学しましたね(笑)。写真の学校はたくさんありますが、僕が渋谷の専門学校を選んだ理由は、写真家の竹内敏信先生がそこでゼミを持っていたからです。」

フク:「竹内さんといえばネイチャー写真ですが、その頃になると野球からネイチャーの方に関心が向いていたということでしょうか?」

清水さん:「いや。全くと言っていいほどネイチャー写真に関心はありませんでした。高校の時に読んだカメラ雑誌の中で先生が連載している記事を読んで、この人の生き様がかっこいいなと感銘を受けたのが理由です。どんな記事だったかは今となっては思い出せませんが、独学で写真を学んだとか、多分そういうことだったように思います。ですから竹内先生の作品を知ったり、そのすごさを感じたのは専門学校を卒業して竹内事務所へアシスタントとして入って以降でした。」

フク:「竹内敏信事務所に、竹内さんの写真をほとんど知らずに入ったというのは面白いですね。」

清水さん:「アシスタントをしていた頃ももちろん作品づくりはしていましたけど、先生の事務所にいるからって必ずしもネイチャー作品を撮るってわけではないですからね。当時僕を含めて3人のアシスタントがいたのですが、みんな色々な作品を作っていましたよ。」

Tokyokarasu清水さん:「僕がその頃撮っていたのは渋谷や新宿などの路上のカラスを主題にした「トウキョウカラス」とか、ネズミに焦点をあてた「コンクリートマウス」というシリーズなど、東京の動物の写真を撮っていました。で、これが後にJPS展で優秀賞('97)や銅賞('98)を受賞しました。」

~モンゴルの撮影、写真を現地に戻す行為~

フク:「清水哲朗さんといえば、10年以上モンゴルを舞台にした作品活動をされていて、2012年には写真集「CHANGE」を現地で出版されています。作品制作がモンゴルへ移行していったいきさつは何だったのでしょう?」

St4清水さん:「モンゴルへ行くようになったのは、自分の興味や偶然がいくつか重なってというのがはじまりです。ひとつは小さい頃に興味を持っていた恐竜などの化石です。見るのも好きでしたし、わずかながら集めることもしていました。これがモンゴルという国に行けば、そこら中にゴロゴロ落ちていると教えてもらって行ってみたいなぁと思ったことです。多分
モンゴルという国の存在を知ったのはその頃でした。また、竹内敏信事務所で働いていた頃に手掛けていた作品の中に動物園の動物を撮るシリーズがあって、都内近郊の動物園に行って動物を撮影していたのですが、そこでユキヒョウという動物に出会ったことです。その美しさ、格好よさに一目惚れをしてしまいまして、動物園の檻の中、限られた視点で撮るのではなく野生のものを見たいなと思ったわけです。ではどこに住んでいるのかと調べてみると、それがモンゴルだったわけです。」

フク:「興味を持ったものがみんなモンゴル産だったわけですか・・・でもそれだけでポンっといけるような場所ではないですよね。」

清水さん:「そうなんですよ。ちょっと不思議ですよね。
初めてモンゴルに行ったのは1997年でしたが、竹内先生がウランバートルで写真展をやることになり、それに同行した時でした。ちょうど動物園でユキヒョウに出会い、野生のユキヒョウを見たいと思っていた頃です。」

フク:「まるでモンゴルに呼ばれているような・・・」

清水さん:「まさに渡りに船状態でした。当時のモンゴルは今と違ってまだ日本にそれほど情報がありませんでした。そういう機会を使わないと、いきなりひとりで行くにはハードルの高い場所だったのです。これはチャンスとばかりに同行しました。」

フク:「でもあくまで仕事で行くわけですから、そこでは行って雰囲気を確認する程度だったわけですよね?」

清水さん:「もちろんいきなりそこでユキヒョウは・・・(笑)。でも、竹内先生の写真展には僕を含めて2人のアシスタントが同行しましたが、もうひとりの方が基本的に竹内先生と同行していました。僕は結構時間があり、ユキヒョウはどこで見られるのかという情報収集をやっていました(笑)。」

フク:「自分の仕事をしっかりやっているじゃないですか(笑)。」

清水さん:「撮影の具体的な手段や撮影エリアの絞り込みなどはできましたね。帰国後しばらくすると竹内事務所を卒業する時期になり、フリーの写真家になったのですが、いきなり仕事なんて当然ありません。ですので、この時期を使って晴れてモンゴル撮影に行きました。竹内事務所を卒業した際に、師匠からの餞別でフィルムを100本もらったのですが、それを持っていった記憶があります。」

フク:「そこでユキヒョウは撮れたのですか?」

清水さん:「惨敗でした。遊牧民に同行させてもらってユキヒョウのいるところまで行ったのですが、見えないんです。彼らは「向こうに3匹いる」といって指をさしているのですが、1キロくらい先の山肌にいたりするんですよ(笑)。彼らには見えるのでしょうが、僕は全く見つけられず・・・あれは悔しかったですね。」

フク:「1キロ先(笑)。それでは写真も当然厳しい・・・。」

清水さん:「撮れませんでした。竹内事務所では当時3ヶ月から半年にいっぺん、現役のアシスタントに卒業生を加えた10人くらいのメンバーで作品を見せ合う合評会をやっていたのですが、帰国後にそれを見せに行くのがつらかったです・・・。案の定写真は酷評で、竹内先生にも「モンゴルの広さに撮らされている」「君にはモンゴルは無理じゃないか」な
どの意見をもらいました。自分でも惨敗と思っていたことですので指摘されて当然なのですが悔しかったです。」

フク:「ほめられて伸びるタイプがそこまで言われてしまうとモンゴルには行かなくなっちゃいそうですけど・・・」

清水さん:「でも僕はこう見えて結構負けず嫌いでして(笑)、酷評を受けたからには必ず写真で返すと決めてモンゴル撮影は続行していきました。それから年に1、2回通うようになり、気がつくと約15年分くらい写真がストックされていったのです。」

Cover_images▲写真集の表紙にもなっている、清水さんのモンゴル撮影の歴史のスタートになった作品です。

フク:「写真集「CHANGE」はモノクロの写真ですが、ページによってセピア調になっていたりしますね。」

清水さん:「写真データは全部セピア化して持っていったのですが、色が転んで赤っぽくなっていたり青っぽくなっているのはわざとではありません。この写真集は装丁から印刷までモンゴルでやってもらってこのようになっています。500部限定で作りましたが、おそらく各冊ページごとに色が異なると思います。印刷のクオリティを含めて今のモンゴルを表現したかったわけです。」

フク:「なるほど。しかし結構大胆な決断ですよね。」

清水さん:「我々日本の写真家の多くは、現地で写真を撮って東京で発表します。そうしますと現地の人は我々が撮った写真を目にする機会がほとんどありません。僕は撮った写真を現地に戻すということが結構大切なんじゃないかなって思っていまして、写真集を作るときも完全にモンゴル国内で作るということにしました。こうすることで写真集はモンゴルの書店にも並び、現地の人たちにも見てもらえるようになると考えたのです。」

フク:「実際モンゴルの人たちに見てもらった反応はどうでしたか?」

清水さん:「15年という時間の中でモンゴルは急激に社会が変化しました。若い人の中には写真に写っている生活風景を見て驚く人もいます。また、ユキヒョウや砂漠のクマ、オオカミ、イヌワシの写真など、そこに住んでいる人もほとんど見ることのできないシーンが掲載されていることもあって、「これはすごいな」「よくこんなところに巡り会えたな」って言ってくれます。現地の人がすごいと言ってくれたおかげで、僕の取材も間違えていないんだっていっそう自信を持つことができました。」

St7

▲清水さんのモンゴルでの15年の記録、「CHANGE」の作品の一部。現地の人達が感銘を受ける現地の風景。現地で取材・撮影をして、それで終わりという訳ではない、そんな清水さんの言葉が作品からも伝わってきます。

フク:「写真を現地に戻す・・・一見当たり前のようですが、言われてみますと東京で発表してそれで終わりという形が多いように思います。清水さんは何故それが大切だと思ったのですか?」

清水さん:「それは少なからずですが、震災が影響していると思います。祖父が生まれたところが宮城県の加美郡ということもあって、精神的に近い存在だったのですが、震災でずいぶん向こうの写真も消失してしまいましたよね?現地に現地の写真があることのかけがいのなさと言いますか、大切さを再確認させられたんです。それは宮城や岩手や福島といった地域に限らず、モンゴルにだって同じことが言えて、やはり現地に戻し、それを見て現地の人が楽しめるものをつくることが僕の仕事だしやりたいことなんだろうなって思っています。」

St6フク:「僕も宮城なんですよ。しかも加美郡って隣町です(笑)。」

清水さん:「同郷みたいな感じですね(笑)。」

~作品は人に見せながら作り上げる~

フク:「「CHANGE」を見ていても感じることができますが、清水さんは毎回撮影のテーマを決めながらも、その間はそのテーマに限定するわけではなく、いろいろなものを撮られていますね。」

清水さん:「そうですね。例えばモンゴルでは「今回はユキヒョウを撮る」という目的で行ったとしても、その間に見たもの、出会ったものにレンズを向けます。ですので撮影した写真の中には町の風景やネイチャー写真、人びとの生活などが写っています。テーマは決めますが、撮影中はジャンルレスです。それは師匠である竹内先生の横にいて、ストックが非常に大切なんだということを目の当たりにしていたからです。先生はネイチャーという分野において膨大なストックを持ち、あらゆる角度からの要求もこなすことができたのです。ですから特定の決まったジャンルにとらわれずに、気になったもの、面白いものにレンズを向けるわけです。それは単に仕事としてそうしようと思ってやっているわけではなく、もともとシャッターを切るのがとにかく好きで、一日中写真を撮っていたいと思うような性格ですので、意識しなくてもストックが自然と増えていくんです。」

St5▲清水さんのモンゴルの作風とはガラっと異なる作品集。ジャンルにとらわれずに気になったものを撮りためていく清水さんのスタイルが現れている作品集です。

フク:「そうした中で作品にまとめて行くのは、結構大変な作業かと思います。作品をまとめるにあたっては何か秘訣のようなものはあるのでしょうか?」

清水さん:「秘訣というほどのものではありませんが、僕は人に見せながら作っていくということを繰り返しています。
アシスタント時代やフリーになりたての頃は、竹内事務所で開催する合評会が人に見せる機会でした。そこではこういった写真を見せたらどういう反応が返ってくるかとか、プリントにしてもどこまで濃いめにプリントすると駄目だって言われるかなど、作品として楽しめる楽しめないの境界線を探っていました。結局写真は相手に見せて、それを楽しんでもらわないといけません。自分の作品における境界線はどこなんだろう?というのを実際に人にみせながら確認していったのです。
竹内事務所の合評会は今は行っていませんが、同じことは今も続けています。まずはじめに自分の写真を見せるのは僕の家族で、見せたときの反応を見ながら完成に持って行っています。やはり写真の世界と直接関係ない人が見て「面白い」と言ってくれるものを作らないといけないですからね。」

フク:「たしかにそうですね。」

清水さん:「そして自分の作品を見直すためにはプリントはもちろんですが、一番いいのはやはり写真展です。写真展というとハードルが高いように思われがちですが、僕は必ずしも完成したものを見せる必要はないと思っています。」

フク:「それはどういうことでしょう?」

清水さん:「人に見てもらって自分を見直す機会として捉えてもいいということですね。やはり外の人に見てもらってその反応を直に聞くと、これから自分がやらないといけないことや新しいテーマを見つけることができます。自分の完成形を見せるだけではなく、自分の今後の発展と言うか充実のために写真展を開いてみると考えると、展覧会ってきっと素晴らしい機会だと思っています。」

・・・いかがだったでしょうか?

清水哲朗さんの公式ホームページからは本エントリー内で話題にあがった「CHANGE」に掲載されている作品も含めた作品も一部ご覧になれます。ブログ等も開設されておりますので、是非覗いてみて頂ければと思います。

また、清水さんをはじめとする8人の写真家さん達によって開催される『復興支援チャリティー写真展 未来への色 NATURE PHOTO AID 2013』も以下の会期で開催されますので、是非足を運んでみてくださいね!

※清水哲朗さんのブログ内の写真展紹介エントリーはコチラをご覧ください。

◆『復興支援チャリティー写真展 未来への色 NATURE PHOTO AID 2013』

●入場無料

●会期    : 8/30(金)-9/5(木)

●開館時間 : 10:00-18:00 (9/2-4は19:00まで ※最終日は14:00まで)

●開催場所 : 富士フォトギャラリー新宿

          〒160-0022

          東京都新宿区新宿1-10-3 太田紙興新宿ビル1F

          Tel 03-5368-2530

●写真家によるギャラリートーク

        : 8/31(土)、9/1(日) それぞれ14:00から

          参加費無料/予約不要

●参加写真家(50音順)

        : 岡島 和幸 氏

          菊池 哲男 氏

          清水 哲朗 氏

          秦 達夫 氏

          深澤 武 氏

          福田 健太郎 氏

          前川 貴行 氏

          米 美知子 氏

それではまた、宜しくお願い致します。

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